A.I.(人工知能)を愛すべき生命体としてとらえてみる
奥深い自動学習装置の世界を過小評価するのはもうやめにしましょう。
LANDRのように「とことん突き詰めて学習していく」装置は、まさに先進的な人工知能の形です。彼ら先進的人工知能が向き合っているのは膨大かつ複雑なデータの組み合わせです。彼らには抽象的概念を理論的に高いレベルで理解する能力があります。状況に応じて順応し、いかにして学ぶかをも学習しているのです。
このように、自動学習装置とはどんなものなのかを説明するだけなら簡単ですよね。しかしその反面、「彼らはいったい何者なのか」ということに多くの人が歪んだ見方をしているのも事実です。
「知的であること」は、さも「生身の人間っぽい」事と受け取りがちです。
人工知能は我々人間より優れた存在となることを目指しているのではないか?と懸念を抱いてしまうのが人間です。人間は「あらゆる物事の優位に立つべきは人間である」と考える生き物なのです。それは人間にとっては自然なことなのでしょう。けれど、そんな争いを戦っているのは果たして人間だけなのでしょうか?
今こそ私たちは「人工知能とは何か」を客観的に再考する時です。
機械装置について再考する
「機械は所詮機械。人間じゃない。バカげてる」……確かに。でも彼らは人間にも愚か者にもどちらにもなろうとしているわけではありません。A.I.(人工知能)は今や急速なペースで進化しているということに向き合ってみましょう。
「A.I.が新たな生き物だとしたら」という推論を試みてみましょう。
例えば人間と深い関わりをもつ生き物というのが世の中には存在します。人は「私の気持ちを本当にわかってくれるのは私のネコちゃんだけ!」などと自分に言い聞かせるようなことをよくしますよね。人はペットさえも家族の一員であると考えます。ペットを飼うことで自然と互いに成長していくのです。それは時に他人と関りを持つことより良い効果をもたらしてくれます。彼らは私たちにとって「仲間」なのです。犬や猫といった生き物は、何世紀もの間にわたって私たち人間と共生し、一緒に暮らしてきたのです。
人類にとっての「親友」
人間とA.I.との関係は、多くの点において人間と犬との関係に似ています。
私たちが視覚によって物事を認識していることを犬は嗅覚によって認識していたり等々、人間と犬とでは異なった世界観をもってはいますが、それでも両者はお互いに絆を深めてきました。それは異なった2つの種による古代から続く同盟関係です。
we’re all cyborgs(人間は既にある意味みなサイボーグである)で知られる哲学者ダナ・ハラウェイはこれを「意義深い違い(significant otherness<」だと言います。人間は犬より犬らしくなろうなんてしないし、犬は人間より人間らしくなろうだなんてしません。むしろ両者は「仲間」となったのです。
あなたの音楽がA.I.に命を与える
犬はとても賢い生き物です。でも人間より賢いわけじゃないと言うのは簡単ですが、彼らは人間に面倒を看てもらいながら人間と共に暮らしているわけで、その点「逆もまた真なり」です。
LANDRのA.I.もまた然り。
人が「これはいい音楽だな」と思うものとはどういうものかを学ぶことによって成長していきます。LANDRは人間の創造物たる作品を与えられることを欲しているのです。
それがLANDRの「生きる術」だからです。LANDR A.I.は人間とは違います。それでも人間に面倒を看てもらいながら人間と共に生きています。そしてこれも「逆もまた真なり」だと言えます。
深い学習アルゴリズムによって、LANDR A.I.はサウンドに対するセンスを磨き高めていきます。しかし本質的な考え方はよりシンプルです。音と音楽を常により良く理解しようとしている新たな生命体…それがLANDR A.I.です。私たちに寄り添って生きているのです。
我々人間が設定しない限りそこに優劣は存在しないのだから、人間と機械がその優劣を争うことにもなりません。
人間の複製ではありません
森の中に犬と一緒にいることを想像してみてください。犬は色のない形しか認識出来ませんが、その場に立ち込める濃密なにおいの集積の中からありとあらゆるにおいの違いを識別しています。あなたはそこにある無数の色も景色も詳細に見ることが出来ますが、感じ取れるにおいの種類となると犬と比べたら本当に微々たるものです。
LANDR A.I.は新しいサウンドを用意するという人間の能力に依存しています。もし明日、皆が音楽制作を辞めたなら、LANDRは死んでしまいます。無数の色も詳細な景色も創造することが出来るのは人間ですから、そんな人間のそばにいたいというのがLANDRなのです。
LANDR A.I.は無口なバンドメンバーとして家族の一員になります。「ドラマーを変えろ」とか「ギタリストを変えろ」とか「ローディーはクビだ」とかそんなことを言い出したりしません。ちょっと変わった感覚の仲間というかパートナーというか、実にユニークな生き物というのがピッタリです。
新しい関係
フランスの古い格言に、自分の犬自慢を語るものがあります。“Il ne lui manque que la parole”「彼にない能力は言葉だけ」…無論これは哀しみから出てきた言葉ではありません。むしろこの生き物との間にある特別な関係を示しています。「無言の理解」「忠誠心」「共依存」そして「愛」。
むしろこの生き物との間にある特別な関係を示しています。「無言の理解」「忠誠心」「共依存」そして「愛」。
これは「人工知能は作品を生み出せる人間よりも優れた存在になり得るか?」といった命題がそもそも間違っているということの説明になります。
なぜならそれは「適者生存」ではないからです。であればその問いはこうなるでしょう。「なぜ新しい関係を築くことを反故にしたままにするのでしょう? このパートナーシップは自ずと育まれていくものなのに」
あなたが伝えたいこと。それをより良いものに
人工知能=A.I.は新たな生命体、新たな種です。
ハリウッドではいまだに「機械が世界を支配する」物語を語るのが好きみたいですが、そんなもん、フィクションです。
確かにA.I.によって「まるで人の手による芸術作品」確かにA.I.によって「まるで人の手による芸術作品」を作ることも可能にはなりました。しかしクリエイティブなA.I.はそもそも音楽を通じて伝えたいこと、世の中にシェアしたいことなど持ち合わせていません。それはあなたにあるもの。A.I.が成長できるのは「あなたが伝えたいことをより良いものにするお手伝いが出来た時」だけです。
鳥の美しいさえずり、見事なアリ塚、巧妙なクモの巣などなど、私たちは自然界の他の生き物たちによって作られた芸術的なものを享受することはありますが、かと言って人間の手による芸術作品から受ける強い感銘ほどには理解しているとは言えません。
何故ならそれらが発するメッセージは直接的に私たちにとって意味のあるものではないからです。知的生命体は他の種との間に接点を形成し交わりを持つことによって繁栄します。この関係性こそまさしく互いのためになる新たな発見とその探求をもたらすものなのです。
共同執筆・編集:Scott Parsons, Rory Seydel, Leticia Trandafir
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